貸本屋についての新聞記事

 北海道新聞の日曜版シリーズ「いつかどこかで 北の遺産は語る」(第45回)で、貸本屋として沖本貸本店が取り上げられ、その関連で貸本屋の将来について夢の屋がコメントを求められたものが、併せて掲載されたので、その全文を紹介いたします。
 このシリーズは、『あなたの身近にある「残しておきたい、伝えたい」と思う懐かしい暮らしや仕事、遊びの風景を取材班にお寄せください。』と、読者からテーマを募集しております。

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北海道新聞2000年11月12日、日曜版  (写真2枚割愛)
いつかどこかで 北の遺産は語る 第45回
貸本屋 気持ち休まる書物の城
 「昔、うちで漫画なんかを借りていった子どもが、すっかりおっきくなって、店に顔をだしてくれたりもするんだけど、『おやじ、まだ生きてたのか』なんてね。いわれちゃうんだよね。」
 札幌市中央区の「沖本貸本店」(南1西24)の店主、沖本博さんは80歳。少し耳が遠くなったというが、とても元気だ。
 「今年になって、何人客がきたかって?一人も来ないよ(笑)」。ほんとですか。「ほんとだよ。年金がでるから。なんとか生活できるんだ。店閉めたら商店街が寂しくなっちゃうだろう。だから、開けてなきゃね」
 沖本さんは、石狩の農家の五男坊に生まれた。ニシン場を手伝っていた1941年(昭和16年)、召集令状が来て部隊の補給を担当する輜重(しちょう)隊に配属となり中国各地を転戦した。敗戦から一年後に復員。札幌に戻って、知り合いの銭湯を手伝いながら資金をため、57年に、この場所に店を構えた。そのころ札幌だけで140店近い貸本屋があったという。花形商売だったのだ。
 「勤め帰りの会社員とか、買い物途中の主婦が借りる番を待って、店に列ができたもんだ。いつごろからかな、客が減ったのは。どこの家にもテレビがあるようになってからだろうな。この十年くらいは、客の代わりにテレビや新聞の取材の人が来るぐらいだ。」
 旧字体で「立讀お断り致します」の看板が掛けられた店内の、すこしカビくさい空気は、なぜか心休まる。平日の午後。
 時がたつのを忘れて、昔話に耳を傾けていると、店の大きなガラス戸ががらがらと開いて、ランドセルを背負った学校帰りの小学生が友だちと連れだって「おじさん。新しいマンガ本入った?」とやってくるような、そんな気がしてくる。
                    編集委員 木村 仁

  貸本業に未来はあるのだろうか。札幌市内の漫画専門の貸本店「夢の屋」(北区北30西5)店主で、北海道新聞夕刊に漫画に関するエッセイを連載している辻岡秀明さん(48)は「難しいな」と悲観的だ。
 「図書館や古本屋が身近にない、ついでにお金もないという時代には貸本に対する需要はあった。でも、いまは学生も携帯電話やインターネット。お金を払って本を借りる時代じゃないのかもしれない」。電話帳を見ると札幌の貸本店は七軒。コーヒー代だけで漫画が読める漫画喫茶の普及も貸本業の脅威にになっている。

 

 沖本貸本店には、店主も学生時代に最初の下宿が割と近かったので、マンガなどを借りに行っていました。久々に当時とあまり変わらない店内の写真を見て、意外と狭かったんだなあ、と懐かしくなりました。当時、新刊本屋を除くと、本がたくさんあるのは、大学の図書館と市立中央図書館(当時の札幌には、まだ区図書館や区民センター図書室はなかったと思う。)、それにまだ数少なかった古本屋ぐらいだったから、沖本貸本店の蔵書一万冊というのは、当時そこそこの品揃えだと感じたのかもしれない。
 貸本屋が「残しておきたい」ものとして取り上げられるということは、それだけ減っていて話題に上ることも少ない商売だからだと実感。
 貸本屋の将来についてコメントを求められたあとに浮かんだのが、名前は忘れてしまったが或る落語家の、今聴いておかないとそのうち落語家の数が減って稀少動物扱いになっしまうよ、という噺のマクラだ。
 ひょっとしたら今や、落語家の人数より貸本屋の軒数の方が少ないのではないだろうか。
 

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