「遥かなる甲子園」山本おさむ作、戸部良也原作 聴覚障害者の戦いに涙
客待ちをしながら本を読むことがあるが、それで困ったことがあった。 読み始めたら、これが泣けてどうしようもない本なのである。自分の部屋でならともかく、店なのだ。 だがストーリーの展開が気になるので、そのまま目を赤くはらして、時々はなをかみながら、 来客を告げるドアの鈴が鳴ると、慌てて目元にティッシュを当て、 お客さんとはできるだけ目線を合わせないようにうつむき加減で応対し、ついに全十巻を読んでしまった。
その作品は「遥かなる甲子園」(双葉社)である。
舞台は沖縄、猛威を振るった風疹(ふうしん)にお母さんがかかったのが原因で 聴覚に障害を持って生まれた主人公・武明は、 小学生の時に地元の高校野球部が出場する甲子園へ応援に行く。 その大歓声の中で「いろんなたくさんの音」を初めて体で感じ、 自分も野球をやってグランドの中からこの音を聴きたいと思うところから、実録の感動ドラマは始まる。
彼はろう学校中等部の時、同級生と一緒に地元の少年野球チームに入り、 チームメイト、コーチなどの理解もあって野球を続ける。 高等部では仲間を集めて野球部を作るが、 当時の学生野球憲章ではろう学校は高野連に参加する資格がないとされていた。 加盟チームとの試合も、一緒のトレーニングすらできないという理不尽さであった。 試合のできない野球部はスタートしたが、甲子園は遥(はる)か遠く、厚い壁との戦いは始まったばかりである。 この続きは作品をご覧あれ。
お客さんから、「感動作品は何かないか」と尋ねられると、 まずこの作品を薦めることにしているが、今のところ不満の声は出ていない。 返却の時に「うちの会社の若い者に是非読ませたい本だ」とふと感想をもらしたサラリーマンもいた。
人を思いやる心を失いないがちなギスギスした世の中だが、 この作品に触れると少しはやさしい気持ちになれるかもしれない。
だだ手元にティッシュ箱を用意し、決して誰かと一緒の部屋では読まないように。
(マンガ専門貸本店「夢の屋」店主)
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